エッセイ

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一期一会(いちごいちえ)

 人との出会いが人生を豊かにする、と最近特にそう思う。11年間の米国での生活、そして日本医大でのこの1年を振り返る時、一度しかない人生において人との出会いがいかに大切であるかがわかる。

 ハーバードでの恩師、ブレンナー博士とは、留学の1年前、東京で初めてお会いした。当時新しいT細胞抗原受容体を発見し、新進気鋭の研究者であった彼のもとにはポスドクの応募が数多く来ていた。大学院時代を臨床のラボで過ごしまともな研究をしてこなかった私は採用されるはずはなかったし、実際彼は面接をした上で私を不採用にする腹づもりだったと思う。面接の最初に、ベルリンで前年に開かれた国際免疫学会での彼の講演について意見を求められた。その講演は聴かず、当時の東ベルリンに観光に行っていた私は、場をなごませるつもりもあって冗談っぽくそのように答えた。その時の彼のむっとした表情を私は忘れない。面接の最初からしくじってしまったらしい。そのあと、全身性エリテマトーデス(SLE)におけるT細胞異常に話が及んだ。大学院のころ曲がりなりにも膠原病の臨床に携わっていた私は何とか無難に受け答えしたが、あろうことか勢いあまって彼の最新のデータに難癖をつけてしまった。学位の指導をして頂いたS先生が同席して下さっていたのだが、その時点でもう駄目だと思われたとのこと。面接が終わり、採用の可否は一晩考えてから、とのことで、翌日ブレンナー博士と朝食をともにした。「採用するが、期間は3年まで。」とにかくも彼との長いつき合いが始まった瞬間であった。

 留学してから最初の2年間の苦労は言葉ではとても言い表せない。失敗、試行錯誤を繰り返しながら、朝から夜中まで1日も休まずひたすら本を読み、実験した。そんな哀れな姿に彼はいたく感動したらしい。日曜日の朝はやくからラボに出てきて、私に「界面活性剤」の解説をしてくれたその情景は今も私の脳裏に残っている。時には、ふたりでファーストフードを食べながら、実験の詳細を討論した。そんな甲斐あってか、2年をすぎたころから飛躍的に仕事が進みだし、論文もまとまった。約束の3年が経ち、出身の京大内科に戻るつもりでいた私は新たなビザの更新手続きをしなかった。ところが、ビザが切れる1ヶ月前に、彼が突然ビザ更新のための事務処理を始めたのには本当に驚いたし、嬉しかった。アメリカでさらに基礎研究を続けてゆくことは、臨床医としてのキャリアをほぼ捨ててしまうに等しい。しかし何ごとにも優柔不断な私が、不思議なくらい迷いを感じることはなかった。今振り返れば人生においてひとつの大きな転機であったが、当時の自分としてはごく自然の流れであったように思う。

 私がハーバードで独立する際にも、ブレンナー先生には暖かく見守って頂いた。今の自分がどれほどのものかはわからないが、現在の自分という存在は彼との出会いなしにはあり得なかったと断言できる。彼から学んだサイエンティフィックな知識や考えはそれ程多くない。若い研究者の能力・意欲を冷徹なまでに見極め、そして心を通わせ、育ててゆく、彼のそうした姿を目の当たりにして、研究指導という形の人間教育の在り方を存分に学ぶことが出来た。それは、私にとって何よりの財産である。

 日本医大着任の際も、ブレンナー先生には惜しみつつも暖かく送り出して頂いた。今思うと、留学して3年が経った時、強引にビザの手続きを始め、私を日本に帰さないようにしたのは、決して私がブレンナー先生の研究室で必要とされていたからではない。まだ未熟なおまえを今日本に帰すわけにはいかない、もっとここで研究者として、そしてひとりの人間として成長してから日本に帰りなさい、という彼なりの配慮であったと思う。

 昨年より微生物学免疫学教室の大学院生とともに医学研究を進める機会に恵まれた。図らずも突然日本で指導的立場に立ってしまい、戸惑いは隠せない。若い彼らは、未熟で純粋でナイーブである。柔らかい新芽のごとく、脆弱だがみずみずしく、内に秘めた生命力、可能性を感じさせる。どのようにしたら大きく育ててあげられるだろうか、着任から1年が過ぎようとしている今でも自問を繰り返す毎日である。時には思い通りの指導ができず、思案に耽ることもある。そんな時、ハーバードに留学したころの自分と大学院生とをだぶらせてみる。そしてブレンナー先生ならどのように指導しただろうか、さまざまに思いを巡らせてみると自然と答えがみえてくる。

 考えてみれば、私がこれまで全く縁のなかった日本医大に着任し、教室の大学院生とともに研究を始めたこと自体、神の巡り合わせというべきものである。この出会いを大切にしたいし、私なりに楽しんでみたいと思う。ブレンナー先生との出会いが私の人生を豊かなものにしてくれたように、教室の若い人たちが将来自分の人生を振り返った時、私とのいっときの出会いを懐かしく思い出してくれれば、それに勝る喜びはない。「一期一会」とは、70歳半ばを過ぎたいまも一開業医として患者さんとの出会いを大切にしている私の父が好んで口にする言葉である。

mbb