エッセイ

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2014年ウイルス研究所アニュアルレポート 研究室紹介

 脂質免疫研究の黎明期に、杉田がヒトCD1分子の研究成果をScience誌に発表したのは今から20年近くも前、1996年のことである。以降、CD1分子の細胞生物学的特質と結核菌脂質の特性について理解を深めながら、脂質免疫の切り口から結核免疫の研究に取り組んできた。当初はヒト培養細胞の解析が主体であったが、ウイルス研究所着任(2004年)以降、動物モデルとしてモルモット、ヒトCD1遺伝子導入トランスジェニックマウス、アカゲザルを開拓し、種々の抗体やテトラマーなどの解析ツールを独自に開発して着実に歩んできた。とりわけ結核菌のidentityを規定する物質「ミコール酸」に着目し、その代謝経路と免疫認識機構の研究を世界に先駆けて展開してきた。このCD1・脂質免疫研究の「世界」は、しかしながら小さい。タンパク質に対するMHC依存性免疫経路(図左)と双璧をなす獲得免疫機構であるにもかかわらず、脂質に対するCD1依存性免疫経路(図中央)の研究者人口は少ない。以前にも述べたが、その理由は大きく2つある。ひとつは免疫学者の多くは水に溶ける物質に親和性があること。ミコール酸は他の生物には類を見ない極長鎖脂肪酸(炭素数が80を越えるアシル鎖を有する)であり、高度の疎水性を有する物質である。どうやって培養系に持ち込むのか、どうやって生体組織に接種するのか、ノウハウが必要となる。そして、免疫学研究でもっともポピュラーな動物<マウスとラット>にこのヒト脂質免疫系に相当するシステムが存在しない。したがって免疫研究の対象となり難いのである。しかし結核病理を考えたとき、マウスとヒトでは大きく異なるのはよく知られた事実である。研究を進めるにつれ、マウスとヒトの免疫系の基本的な違いに気付くことが、とりわけ最近多くなってきた。これまでのマウスを用いた結核研究では見えなかったことが、次第に見えつつあるのだと思う。

 今年、結核菌脂質リガンドに対する自然免疫の研究において、ひとつの進展があった。マクロファージ等の自然免疫細胞に発現するヒトC型レクチン受容体「Mincle」が、結核菌脂質グリセロールモノミコール酸を認識することを実証した。興味深いことにマウスMincleはヒトMincleと高い相同性を有するにも関わらず、グリセロールモノミコール酸を認識しない。いろいろな過去の報告や状況証拠から、グリセロールモノミコール酸はおそらく慢性炎症に深く関わる脂質であろうと推察している。古くから語られてきたヒトとマウスの慢性結核病態の違いがMincleによるグリセロールモノミコール酸の認識の有無で説明できるのだろうか。いま大学院生の邑田悟医師が、ヒトMincleトランスジェニックマウスを用いて精力的に研究を進めている。またこれとは別に、脂質免疫を切り口とした結核免疫研究の1つの目標は、抗結核「脂質ワクチン」の開発である。新たなワクチンパラダイムの創成にもつながる大事業だが、モルモットおよびアカゲザルを用いた研究により、かなりゴールが見えてきた。大学院生の宮本歩己さん、渡邊丈治君が地道に研究を進めてくれている。そのたゆまない努力に敬意を表したい。

 さて、ウイルス研究所の一研究室として、ウイルス研究の発展に貢献したいと考えるのは当然のことである。ウイルスは固有の脂質を持たない。しかしたとえばエイズウイルスNefタンパク質のように、脂質修飾を受けることにより機能するリポタンパク質が存在する。これに対する獲得免疫応答は存在するのだろうか。2006年夏、このquestionに取り組んでくれたのが当時大学院修士1年であった森田大輔助教である。そして今年、8年余りに及ぶ研究がついに開花しようとしている。まだ未公表のためここに詳しく書けないが、アカゲザルエイズモデルにおいてNefリポペプチドに対する細胞傷害性T細胞の存在を実証しただけでなく、3年をかけてリポペプチド抗原提示を担う分子(図右、B*nov1)を同定し、さらに2年をかけて今年、そのX線結晶構造を決定した。その精緻な構造から新たな興味も涌き上ってくる。他のウイルスではどうなのだろう。パルミチン酸付加やゲラニルゲラニル化など、他の脂質修飾も免疫標的となるのだろうか。リポペプチドワクチンは可能か。自己・非自己の認識機構や自己免疫との関連はどうなのか。大学院生の山本侑枝さん、今年から新たに加わった高間義晴君、吉岡佑弥君が研究を大きく展開しつつある。

 7月より水谷龍明博士(前長崎大学助教)が特定助教として研究室に加わった。がんの病態解明や診断に向けて、最新のイメージング手法を開拓してきた新進気鋭のがん免疫研究者であり、分子生物学への造詣も深い。幅広い学識と豊かな経験、鋭い洞察から結核慢性病態とがん慢性病態の共通項をあぶり出し、制御への道筋を構築しようとしている。研究室では数年前に、ヒトがん細胞の一部がCD1分子を表出することを見いだしている。研究室として長らくの懸案であった脂質免疫のウインドウから見たがん免疫の研究が水谷助教の着任とともに始められつつある。今後の研究発展に期待していただきたい。

 

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