エッセイ

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海外留学とフェローシップ

 最近,片腹痛く感じることがある。日本からハーバード近辺に留学して来られた若いドクターが、私の部屋に“ご挨拶”にお見えになるのである。私に特段の研究実績やコネがあるわけでもなく、“ご挨拶”に来ていただいても何もお力にはなれないように思うのだが、まあボストンに住みついて7年半にもなるので、少しは利用価値のある存在なのかもしれない。研究のこと、日常生活のことなど、ひとしきり、よもやま話に花を咲かせるのである。

 先日、神戸での免疫学会にシンポジストとして発表の機会をいただいた。そんなご縁もあってか、編集長の平野先生から、日本免疫学会の若い研究者の刺激になるような一文を、とのご依頼を賜わった。そんな年寄りではないのだが、拙文がお役に立つのなら幸いと思う。過去のJCI Newsletterで、日本の免疫学のリーダーの先生方が、多くは学問的な、そして時には哲学的とでもいうべき格調高い議論を展開されている。私にはそのような崇高な文章は荷が重いので、ここでは少し学問を離れ、俗世間的な話題を取り上げてみたい。ポストドクトラルフェローシップについて最近思うこと、感じることを書き綴ってみる。これから留学される方々に少しでも参考になれば嬉しく思う。

 さて、そのよもやま話のなかで、時々耳にする“苦情”は、ボスからもらうサラリーの安さである。アパート代(ボストンは家賃がかなり高い)と国際電話代を支払うと手取りの給料はなくなってしまい、貯金を切り崩しているという人がかなり多い。なにしろハーバードは買手市場である。ポスドクの応募者がキャパシティーを遥かに越えているので、安いサラリーでも優秀な人材が集まってしまうのである。しかし,安いのはボスが研究費から捻出するサラリーである。自身がポストドクトラルフェローシップを取得すれば、学位取得からの年数に応じて、相応なサラリーを得ることができる。このことを知らないか、あるいは知っていても留学中にフェローシップにアプライしない日本人のドクターが多いのは残念である。

 最近の日本の事情はよく知らないが、米国のポスドク制度は、単純明快で合理的である。ひとことで言えば、優秀なポスドクを選抜してフェローシップを与え、将来の独立研究者を育てる制度である。ポストドクトラルトレーニングのために留学したにもかからわず、ポストドクトラルフェローシップを得ようとすらしないことは、ポスドクとして、さらには一個の研究者として自己否定に他ならない。少なくともアメリカ人の目にはそう映っているはずである。以前「自分の父親はrichなので、サラリーはいらない」と自分のボスに言い放った日本人ポスドクがいた。それを聞いたそのボスはその発言の真意がわからず、私に意見を求めに来た。恐らく実際、経済的に恵まれていたのだろう。そして研究者としての自分を謙遜するつもりもあったのだろう。だが、そのような発想は通用しない。そのボスは、「日本人は裕福でいいなあ」と皮肉まじりに言って立ち去ったのを思い出す。

 アメリカ人のポスドクの多くは、ポストドクトラルトレーニングの開始に際して、これから先3年間にそのラボで自分がどういう研究を進めていくか考える。そしてその考えをリサーチプランとしてまとめ、フェローシップ申請書に添える。そのリサーチプランが審査され、フェローシップが与えられるかどうか決まる。とても実現不可能な壮大なリサーチプランはもちろんリジェクトされるし、かといってありきたりなリサーチプランでは審査員に印象的ではない。現実的かつ論理的なリサーチプランをいかに魅力的に書き上げるかがポイントである。私も時々ドラフトを読まされるが、ずばぬけてうまいリサーチプランを書くポスドクもいれば、全然駄目というようなものもある。つまり、ポストドクトラルトレーニングのごく最初の段階で、既に研究プロジェクトを構築して表現する能力が試されているのである。

 ヨーロッパからアメリカに留学してくるポスドクで、ポストドクロラルフェローシップに応募する人は、私の知る限りあまりいない。なぜなら、自国で3年間のフェローシップをもって留学してくるからである。だから3年経つとすんなり帰っていく。日本には一時的な留学助成はあっても、年棒としてのポストドクトラルフェローシップはないように思う。留学中のサラリーはボスからもらうもの、という認識が無意識のうちに日本人ポスドクの間に浸透しているように感じるのだが、それはむしろ異例であることを知っていて欲しい。留学すれば是非ポストドクトラルフェローシップを取って欲しいと思う。永住ビザをもっていることが出願の条件になっている場合があるが、免疫関係で言えば、Arthritis Foundation,Leukemia Society of Americaなどは、良いフェローシッププログラムをもっており、永住ビザがなくても応募できるので参考にしてみて欲しい。とくに前者は、採否にかかわらず、点数と詳しいクリティシズムを返してくれるので、自分のリサーチプランがどのように評価されたか良くわかり、ためになる。

 散逸な文章をお許しいただきたい。日本の若い人の刺激になるように、との平野先生のリクエストにお応えできたかどうかわからないが、少しでも参考にしていただければ幸いである。