エッセイ

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私の心の支え

 人生においてどんな厳しい状況に立たされても、もう一踏ん張りできる「心の支え」を誰しも一つは持っているだろう。私にとってのそれは、まさに杉田先生の下で学んだ3年間だと言える。

 他大学の修士課程から杉田研に博士課程の学生として編入学し、脂質をターゲットとした免疫応答の研究を開始したのは、今から5年前になる。いや、振り返ってみると、本当の意味での「研究者」として研究を始めたのはもっと後のことだったと思う。編入学当初、手習い程度の実験しか出来ないほど私の経験や知識は少なく、研究室のペースについていくのがやっとだった。最初の数ヶ月は自分の力のなさだけが感じられる、大変情けないものだった。自分の中で自信のあった技術ですら、浅い知識の上に立っている非常にもろいものであることを痛感した。しかし、心が折れることは一度もなかった。一つ一つの実験に細かい理論を持っておられる杉田先生の厳しいご指導に必死で喰らいついて行った。

 当時知識の面では大幅に遅れを取っていた私だったが、一つだけ他のラボメンバーに負けないと感じている部分があった。自分でいうのも何だが、器用である点だった。高い精度で、TLC板からまったく混入のない脂質を精製することができた。TLCの展開にも私なりにいろいろな細かい工夫を凝らした。杉田先生からは、「自分のハーバードのボスは、protein chemistry は artであると言った。自分は不器用だったが、だれよりも奇麗な protein chemistry を実践しようと努力した。小森君はだれよりも奇麗な lipid chemistry を実践している。」と言っていただけた。大変うれしく、さらに実験に対するモチベーションが上がった一言だった。技術を磨きながら、その技術の背景にある理論を充分に理解していった。これは単なる市販キットをうまく使いこなすこととは異質のものである。思い返してみると、その後につながる私の基礎的な実験手技や考え方はこの頃に醸成されたのだと思う。2リットルの菌体培養液からわずか1マイクログラムの新規免疫標的脂質を精製し、マススペクトロメトリーやガスクロマトグラフィーを用いてその構造を決定した。自分の成長を実感するとともに、達成感を得た瞬間だったが、それ以上に、これほど微量な病原体脂質を認識して応答する免疫システムの凄さを再認識した瞬間でもあった。

 免疫システムは個体レベルでの統合的生体防御を担っている。このため、培養細胞を使った実験だけでは、その本質を見逃してしまう。そこで私はモルモットを用いた実験系を立ち上げ、脂質に対するアレルギー応答の存在と機序を検証するプロジェクトを自身のテーマとした。lipid chemistry、免疫学的アプローチ、組織化学、molecular biologyと、私が培ってきたアイデアと技術が活かされ、満足のいくものになった。遠回りをしたかもしれない。いや急がば回れ、だったと思う。教科書における遅延型アレルギー応答の記載を書き換える成果へと結実した。この研究は、まさしく私の研究者人生の集大成といえるものである。

 私は今、臨床医になるために医学部で学んでいる。「免疫(疫から免れる)のしくみは、病気から学ぶことができる」と内科医でもある杉田先生から教わった。逆に私は、免疫の基礎知識を充分に活用、応用し、臨床に生かしたいと考える。臨床医になるために遠回りをしたとは思わない。杉田研究室で過ごした3年間は私に物事への接し方を学ばせてくれるとても貴重なものだった。本当に大変な3年間ではあった。しかしながら、今の私は杉田研に編入学した当時の私とは明らかに違った自分であると感じている。少し年のいった学生として医学部講義を聴講していると、研究の視点から物事を考えている自分に気づく事がしばしばある。論文を読むことで養われた英語力も役に立っている。日本語訳がまだ出版されていない教科書を原書で読めるのは、大きなアドバンテージである。3年間で人にこれほど成長を実感させてくれる経験は、誰しもができるものではないと思う。私はこの充実した実感と経験を心の支えとして、よい臨床医になるために日々、努力を惜しまないでいたい。            

                                 平成24年4月 小森 崇矢

 

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