エッセイ

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2013年ウイルス研究所アニュアルレポート 研究室紹介

 「脂質免疫」の研究は難しい。当たり前のことだが脂質は水に溶けない(それが定義だ)。とりわけ私達が扱っている結核菌脂質の多くは、ミコール酸というC80を越える長鎖脂肪酸を含んだ脂質であり、水系溶媒に馴染むはずがない。そのままT細胞培養系に投与しても、T細胞抗原受容体と巡り会う前にメディウムにはじかれてしまう。ましてやどうやって生体に投与し、効率的にT細胞応答を誘導するのか、試行錯誤を繰り返すことになる。幸い共同研究者に恵まれ、ようやくこの点は解決できるようになってきた。しかし脂質抗原と水溶性アジュバントをどううまく一緒に投与するか、まだ工夫が必要である。もう一つの大きなチャレンジは実験動物の開拓である。私達の目標は、言うまでもなくヒトの免疫病態の理解と制御であるが、免疫系が個体レベルで機能する生体システムである以上、実験動物の利用を避けては通れない。幸か不幸か(?)、免疫解析に有用なマウスとラットは、ヒト脂質免疫の基盤となるグループ1CD1分子がない。2004年9月のウイルス研着任を契機に、ヒト培養細胞の解析研究から動物個体を用いた研究への展開を計り、ヒトCD1トランスジェニックマウス、モルモット、アカゲザルと段階を踏みながら、着実に(いや苦労に苦労を重ねながら)実験系を確立し、脂質免疫の研究を進めてきた。市販品がないため、未だにモルモットサイトカインに対するモノクローナル抗体を作製してELISAシステムを立ち上げたり、個体差の大きいアカゲザルMHC遺伝子の基礎解析を行ったりしている段階だが、これらの実験動物のそれぞれの長所を生かし、結果を比較し合いながら脂質免疫の実態を理解しつつある。その過程で、たとえばヒトとアカゲザルの脂質免疫系において、私が予想もしなかった違いを認識することもある(Infect. Immun. 81: 311-316, 2013)。ラボミーティングで最初にその結果を見たとき、そんなことあり得ない、と口走った自分が恥ずかしい。つまらぬ常識や固定観念ほど新たな発見の障害となることを今更ながら実感した次第である。

ラボの掃除と基盤整備に1年半程を要し、新しく大学院生を受け入れ始めたのが2006年4月であった。その第一期生、森田大輔君は、博士(生命科学)の学位を取得したのち、日本学術振興会特別研究員PDを経て、2013年3月より当研究分野の助教となった。思えば2006年の夏、「ウイルスは固有の脂質を持たない。果たして脂質免疫はウイルス感染制御には無力なのだろうか?」「いやそんなはずはない。ウイルス感染で脂質免疫が機能するとすればどんな場面だろう」と議論し合った。その結論は「ウイルスは固有のリポペプチドを持つ」だった。たとえばエイズウイルスNefタンパク質はN末端グリシン残基に脂質修飾(ミリスチン酸付加)を受けて初めてその免疫抑制機能を発揮する。この断片すなわちリポペプチドを認識するようなT細胞応答があったら楽しいな、と。

 この議論から数年を経て、珍しくその予想は当たっていたことがわかった(J. Immunol. 187: 608-612, 2011; J. Virol. 87: 482-488, 2013)。これを実証できたのは、森田君や山本さん(生命科学研究科D1)の頑張りとともに、またまた多くの素晴らしい共同研究者に恵まれたことが大きい。そして最近、まだここに詳しく書くわけにはいかないが、このリポペプチドを結合しT細胞に抗原提示する「リポペプチド抗原提示分子」を同定した。「ペプチド」「脂質」に加えて、その両者の特質を有する「リポペプチド」が獲得免疫の標的となることが分子レベルで証明出来つつある。これは今年度の最も大きな研究進捗であろう。

 研究室には新たに邑田悟医師(医学研究科D1)、渡邊丈治君(生命科学研究科M1)が加わった。新入所者歓迎会での二人の芸には笑えたが、研究面でも芸達者なところを見せてくれている(口達者でもある)。研究室はいま、脂質(結核)、リポペプチド(エイズ)の研究を深めるとともに、次の新たな研究目標を定めようとする転換期でもある。上述のような「もし・・だったら楽しいな」という新たな発想をともに磨いていきたいと思う。